- 2014年5月9日
映画『エヴェレスト 神々の山嶺』は、夢枕獏さんの小説「神々の山嶺」を実写化した作品です。
V6の岡田准一さんは深町誠 役で、阿部寛さんは羽生丈二 役で出演しています。
昨日、劇場に観に行きました。
●導入部のあらすじと感想
1993年、ネパールのカトマンドゥ。日本のエヴェレスト遠征隊は、2人の犠牲者を出して失敗に終わった。そのことによりカメラマンとして参加した深町誠(岡田准一さん)が目的としていた写真集もキャンセルとなる。むしゃくしゃした深町は、喧騒の街を独り彷徨う。すると、骨董屋のショーウインドーで古いカメラを発見する。それは、ヴェスト・ポケット・コダックのモデルB。1924年にエヴェレスト頂上を目指しながら行方不明となったイギリスの登山家のジョージ・リー・マロリーが使用していたカメラと同じ型だった。もしそれがマロリーのもので中に登頂したことを示すフィルムが残っていたとしたら世紀の大発見となる。なぜならエヴェレストの初登頂成功は1953年とされているからだ。野心を抱いた深町はカメラを150ドルで購入する。しかしその矢先、ビサル・サルパ(=毒蛇)と呼ばれる大男(阿部寛さん)と、アン・ツェリン(テインレィ・ロンドゥップ)たちが店に現れ、盗品を取り返しに来たとしてカメラを持っていってしまう。深町は、ビサル・サルパの顔に見覚えがあった。数年前に消息を絶った天才クライマーの羽生丈二その人であった。
帰国した深町は、山岳史を塗り替えるスクープを追うべく、まずは羽生のことを調べ始めるのだった…。
協調性がなく、あまりにも登山を優先させるその生き様にザイルパートナーはついていけず、その結果しばしば孤立する羽生。そんな羽生を唯一慕ってきたのが、山岳会の後輩・岸文太郎(風間俊介さん)でした。しかしながら、羽生と文太郎の2人でクライミングしている最中に、文太郎が落下して死亡。その際、羽生が自分だけ助かるためにザイルを切ったのではないかという噂が立って、羽生はいっそう孤立していきました。文太郎の死をきっかけに、文太郎の妹・涼子(尾野真千子さん)と交際するようになった羽生でしたが、あることが原因で突然姿を消しました。羽生のことが気になる涼子は、深町のもとを訪れます。深町が羽生について調べていることを知ったからです。そして深町は、羽生とカメラの消息をつかむために、涼子と一緒に再びネパールを訪れて、日夜その捜索に明け暮れます。やがて必死の捜索の甲斐もあって、2人は羽生の居場所を突き止めました。そこで深町は、エヴェレストにすべてをかける羽生という男に魅了されていきます。人生のすべてを山に捧げる羽生の生き様をフィルムに収めるために、そしてカメラの謎を突き止めるために、深町は羽生を追い続けるようになるのです。山にとりつかれた男・羽生と、羽生の生き様にとりつかれた深町。そんな2人の人生がエヴェレストで交わるところが興味深かったです。
「どうして山に登るのか」と問われたマロリーが「そこに山があるから」と答えたことを深町が引き合いに出した際に、羽生が「違うな俺は。俺がここにいるからだ。俺がいるから山に登るんだ」と言っていたのが印象的でした。私も涼子と同じで、どうして命を削ってまで山に登らなければいけないのかという疑問を持っていましたが、結局その答えは分かりませんでした。それもそのはず、クライマーにとって“山を登る”ことは、“人間が生きる”ことと一緒で答えなんか存在しないのかもしれません。山に登ることがそのまま生きることへの渇望や執念に繋がっていて色々と考えさせられました。
そして羽生の「足が動かなければ手で動け。手が動かなければ指で行け。指が動かないなら歯で雪を噛みながら行け。歯もだめになったら目でにらみながら行け。目もだめになって本当にだめになったら、想え。ありったけの心で想え」といった言葉も印象的でした。限界を超えるには、それぐらいの熱意や気迫、根性が大切なのでしょう。
本作は、エヴェレスト標高5200メートル級に登って撮影が敢行されました。それは日本映画史上初となるそうです。画面には圧倒的な風景が広がり、登山の過酷さ、自然の力の恐ろしさなども感じられました。