- 2009年3月5日
映画『世界から猫が消えたなら』は、川村元気さんの同名小説を実写化した作品です。
佐藤健さんは、僕と悪魔の二役を演じています。
一昨日、劇場に観に行きました。
●導入部のあらすじと感想
30歳の郵便配達員の僕(佐藤健さん)は、“キャベツ”という名の猫と共に暮らし、平凡だけど充実した毎日を送っていた。
しかしそんなある日、突然めまいと頭痛に襲われて倒れる。病院で調べたところ、原因は悪性脳腫瘍で手術も難しく、いつ急変してもおかしくない状態だと医師から言われる。
ショックを抱えたまま帰宅すると、僕と瓜二つの悪魔(佐藤健さん:二役)が待ち構えていた。状況が分からずうろたえる僕に、悪魔は「死なないで済む方法が1つだけあります」と言ってあることを持ちかけてきた。それは、身の回りの大切なもの1つと引き換えに一日の命が得られるというものだ。僕は自分の嫌いなパセリを提案するが当然却下される。職場からの電話に出る僕を見た悪魔は、思いついたように電話を消そうと提案。僕は半信半疑のまま悪魔との取引に応じた。
翌日、電話が消える最後の日。僕が電話で呼び出したのは、かつての恋人・彼女(宮崎あおいさん)だった。なんだか電話がしたくなったのだとごまかす僕に、彼女は電話にまつわる思い出を話しだす。それは2人が出会った頃のことだ。実は僕と彼女は一本の間違い電話がきっかけで出会って交際に至ったのだ。
大好きだった彼女と思い出話に花を咲かせた僕は彼女と別れ、その帰り道に衝撃を受ける。悪魔が再び現れ、予定通り世界から電話を消してしまったのだ。人々が手にしていた携帯電話は消え去り、携帯ショップはあっという間に文具店へと変貌するのだった…。
電話が消えるということ、それは電話がきっかけで出会った彼女との関係も無くなってしまうことを意味していました。すなわち一日の命と引き換えに失う大切なもの、それは失う対象のものだけではなく、それにまつわる思い出や人間関係もすべて消えてしまうということだったのです。電話が無くなった世界では、僕は彼女と出会うことなく知人ですらありません。電話が世界から消えた後、彼女の記憶には僕が存在していませんでした。
“映画”が消す対象にされる場面。印象的だったのは、僕の唯一の親友・ツタヤことタツヤ(濱田岳さん)です。ツタヤは人見知りの映画マニアで、レンタルビデオ店の店長をしています。おすすめDVDを選んで僕に貸し出し、その映画のセリフを言い合うのが日課になっていて、「映画は無限にある。だからこのやり取りも永遠に続く」と話していました。そんなツタヤに、僕は自分が余命わずかであることを打ち明け、最期にふさわしい映画1本を選んでほしいと頼みます。僕が帰った後に、動揺したツタヤが最期の1本を探すものの見つからずに取り乱すシーンが印象的でした。
“時計”が消す対象にされる場面。印象的だったのは、僕と彼女が海外旅行中にアルゼンチンで出会ったバックパッカーのトム(奥野瑛太さん)絡みのエピソードです。トムは、時計=時間に縛られず生きるために海外を転々としていました。僕と彼女がトムとさよならした直後に、トムの身にある悲劇が起こります。その後、僕と彼女はイグアスの滝を訪れ、彼女が滝に向かって「生きてやる!!」と叫ぶ場面が印象的でした。
そしていよいよ“猫”が消す対象にされる場面。僕にとって猫は、病に倒れた母さん(原田美枝子さん)との絆、そして父さん(奥田瑛二さん)とのつながりを意味するものでした。母さんが遺した手紙のおかげもあり、ここにきてようやく僕は死を受け入れる覚悟を決め、本当に大切なことに気づき、悪魔の正体も分かります。その後、僕はある人に宛てて手紙を書くのですが、それが冒頭のシーンとつながっていてよくできていると思いました。
キャベツが僕の家に来た由来、海辺で撮られた僕と母とキャベツの記念写真がぶれていた理由、父さんが初めて赤ん坊の僕と対面した時に話しかけた言葉が感動的でした。
状況的に考えると暗い物語ですが、映画全体に流れる空気感がなんだかノスタルジックで優しく心地よくて引き込まれました。世界から自分が消えたとしても何一つ変わらないでしょう。でもきっと自分は誰かにとって“かけがえのないもの”であるに違いない、いや、そうであってほしい。そういったことも考えさせられました。