寄生獣 完結編 (染谷将太さん)

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映画『寄生獣 完結編』は、岩明均さんの同名漫画を実写化した2部作の後編です。前編の『寄生獣』に引き続き、山崎貴監督がメガホンを取っています。
染谷将太さんは、主人公・泉新一 役で出演しています。
先日、劇場に観に行きました。
●導入部のあらすじと感想
不可解ないくつもの殺人事件を経て、人間の脳に寄生する謎の寄生生物の存在はすでに警察たちの知るところとなっていた。彼らは、寄生生物をせん滅すべくSATを中心とする特殊部隊を編成し、快楽殺人者という経歴から人間と寄生生物を見分ける能力を持った浦上(新井浩文さん)を減刑を条件に呼ぶなどして準備を進める。
母親を殺されて恋人の村野里美(橋本愛さん)まで殺されそうになった泉新一(染谷将太さん)は、寄生生物への憎しみと怒りに支配されていた。 寄生生物を皆殺しにすべく、ミギー(声・パフォーマンスキャプチャー:阿部サダヲさん)が止めるのも聞かずに次々と倒していた。
東福山市の市長に当選した広川剛志(北村一輝さん)は、市役所をアジトに寄生生物によるネットワークの組織化を進め、市役所はさながら寄生生物の要塞と化していた。
広川の立役者とも言える田宮良子(深津絵里さん)は、人間の子どもを出産して育てていた。寄生生物と人類の共存を模索する田宮は、新一とミギーがその鍵になると考え、新一とミギーを始末するという広川たちの意見に反対する。
田宮は恋愛感情を利用して、人間のジャーナリスト・倉森(大森南朋さん)を使って新一を監視させていた。倉森は新一とミギー、寄生生物の存在を社会全体のために公表すべきだと田宮に提案するが、当然のことながら引きとめられる。
そんな中、尾行がばれた倉森は、新一から田宮が寄生生物であることを知らされてショックを受ける。新一は、調べたことは全部忘れて遠くに逃げるよう忠告。しかし、田宮に騙されていたことに腹を立てる倉森は、大胆にも広川市長にインタビューして密かに市長室に盗聴器を仕掛ける。しかし盗聴器はばれていた。広川は組織に危険が及べば排除しなければならないとして、田宮には報告せずに倉森と新一・ミギーを殺すよう指示。その後、新一・ミギーの前に刺客として現れたのは、一人の体に5つもの寄生生物が宿る三木(ピエール瀧さん)であった…。
前編に引き続きCG、VFXを駆使した映像が見事でした。新一とミギーが一緒に味噌汁を作るシーンも遊び心があって面白かったです。新一とミギーの息の合った様子が端的に表現されていて、緊張感あふれる本編内でほのかに心が癒される場面でした。
本作では、人間による寄生生物せん滅作戦が開始される中、寄生生物たちの内面、思いにも焦点が当てられていました。特に人間の子どもを産み育てて心の変化が見られた田宮が印象的でした。人間にとっての自分たち(=寄生生物)、自分たちにとっての人間とは一体何なのかを考え続けていた田宮は、寄生生物と人間は1つの家族で、自分たちは人間の子どもであると結論付け、「我々はか弱い。それのみでは生きてゆけないただの細胞体だ。だからあまりいじめるな」とまで言いました。いわば捕食されるのは人間の方なので、にわかには理解しがたい考え方ですが、寄生生物側からすれば、強力な武器や道具を使う人間の方が脅威であり、人間がいなければ生きていけない存在である寄生生物の方が弱いということなのでしょう。また“寄生生物が人間の子ども”というのも、深海から寄生生物がやって来るという映画版においては、人間が垂れ流した汚染物質によって突然変異で寄生生物が生まれたという見方もできなくはありません。ほとんど無表情だった田宮が、子どもをあやす時に見せた人間らしい笑顔も印象的でした。
広川市長の思いも印象的でした。殺人よりもゴミの垂れ流しの方がはるかに重罪だと話す広川は、人間一種の繁栄よりも生物全体を考えるべきだと訴え、人間に寄生して生物全体のバランスを保つ役割を担う寄生生物から比べれば、人間こそ地球を巣食う獣(けだもの)“寄生獣”であると主張しました。この考え方もさることながら、広川の正体にも驚かされました。
驚かされたと言えば、三木と後藤(浅野忠信さん)の関係性です。ネタバレになるので詳細は避けますが、それが最後のミギーのプランCの伏線にもなっていて納得感が増しました。そんな後藤も広川に近い考え方を示します。人間が増えて困るのは、他でもない人間自身だから、「この種(=人間)を食い殺せ」とずっと後藤の頭の中で響いていた声の主は、人間だと言うのです。
多くの過酷な現実を共にした新一とミギーの友情も感動的でした。 新一と出会った頃には、「私の最も古い記憶は君の脳を奪うことに失敗し“残念”という感情だ」と話していたミギー。本作では、「出会った時、君の脳を奪わないで良かった…」という言葉を口にしました。前編では、亡くなった子犬を無造作にゴミ箱に捨てるなど、新一側にミギーの影響が出ていましたが、今回はミギーが新一から影響を受けて人間的な感情を抱いていました。ミギーが身を挺して新一を助けようとしたのもそのあらわれでしょう。自分の子どもを助けるために逃げずに我が身を犠牲にした田宮も同じことが言えるでしょう。逆にミギーの影響で涙を流せなくなっていた新一ですが、田宮の件で自身の母親とオーバーラップして涙が戻って来ました。
人間である浦上の考え方が一番異常でした。人間は何千年も殺し合いをしてきたので、もともとお互いを殺したがっている生き物のはずで、その本能に沿って生きる殺人鬼の自分こそ本当のまともな人間であると主張したのです。もちろん少なくとも歴史上の争いは殺すことそのものに快楽を感じてやっていたわけではありません。浦上の意見は自分を正当化するための詭弁以外のなにものでもないのです。自身の生命維持のために人間を殺していた寄生生物の方がよっぽどまともに見えてしまいます。
地球上の生物たちと寄りそい生きている人間は、いわば大もとの寄生先である地球のことももっと考えるべきなのかもしれません。そういったことも考えさせられました。