天皇の料理番 最終回 (佐藤健さん)

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佐藤健さんは、TBS系列の毎週日曜夜9時枠にて放送されていた日曜劇場『天皇の料理番』に秋山篤蔵 役で出演しました。
一昨日は最終回(第12話)が放送されました。
●あらすじと感想
パリでの功績を認められ天皇陛下の料理番 「大膳寮の厨司長」 として日本に呼び戻された篤蔵(佐藤健さん)は、俊子(黒木華さん)と再会して再婚。3人の子どもにも恵まれる。しかし、俊子は病気で息を引き取る。失意の中で暮らす篤蔵を奮起させたのは、俊子が教えた思いを受け継ぐ子どもたちの姿だった。
時は経ち、日本はアメリカに敗戦し、まもなく連合国軍最高司令官総司令部(=GHQ)による統治を受けることになる。天皇が軍事裁判にかけられる可能性があることを宮内省から聞いた篤蔵は、憤慨しつつも仕方がないこととして諦めようとする。しかし、宇佐美鎌市(小林薫さん)や亡き父・周蔵(杉本哲太さん)が遺した手紙に諭されて、天皇の料理番として果たすべき役割を模索する。
天皇の命を守るためにアメリカの恩情を得ようと考えた篤蔵は、GHQの要望に徹底的に応える。そんな中、GHQとその家族の集まりの場で料理を振る舞うことになった篤蔵は、宮内省や宇佐美、山上辰吉(柄本佑さん)たちの協力を取り付け、お上の料理番の名にかけて最高のもてなしをする。そんな際にも将校の一人が、日本や天皇に対する侮辱的・差別的な言動を行って篤蔵を挑発する。逆上しそうになる篤蔵だが、俊子の形見である鈴を握りしめて思いとどまり、道化に徹して場を和ませる。松井新太郎(桐谷健太さん)や山上もそれに協力してくれた。
篤蔵のおもてなし、宇佐美の一介の市井の料理人としての意見のおかげもあってか、GHQは天皇に戦争の責任はないと判断。それから篤蔵は引き続き天皇に仕える料理番としてまごころを持ってその職務に当たる。フランス料理アカデミー名誉会員に選ばれるなど、各方面で認められた篤蔵は、1972年10月18日、58年にわたるその料理番人生に幕を下ろし、天皇から直接ねぎらいのお言葉をいただくのだった…。
GHQの人の「天皇というのは何ですか?」という問いに、宇佐美が「私にとって陛下は、味噌です。大変不敬かつ曖昧な表現だとは思いますが、私は無学な料理人です。お許し下さい。生まれた時からそこにあり、馴染んできたもんですから、味噌を親しみ慕うことは当たり前です。その意味を問うたことさえありません。しかし、もしある日突然、味噌を今後一切食べるなと言われたら、私はとてつもない寂しさを感じると思います。そしてあちこちで暴動が起き、私もそれに加わると思います。陛下の存在を否定すれば、それと同じようなことが起き、統治を難しくするだけではないでしょうか」と答えたのが印象的でした。
片田舎の厄介者だった篤蔵は、父・篤蔵、兄・周太郎(鈴木亮平さん)、母・ふき(美保純さん)、妻・俊子、師匠・宇佐美、友人・山上や松井など多くの人たちの支えのおかげで夢を叶えることができました。篤蔵は、そんな自分は夢を叶え続ける責任、天皇の料理番として力の限り励み続ける責任があるとし、その自覚のもと職務を見事に全うしました。夢を叶えることの尊さを感じました。